『親日パラオ』

夫の父の米寿祝に家族でパラオに行きました。
造船マンだった義父にはミクロネシアは思い出の地。
昭和28年に戦時中に沈んだ軍艦の調査航海、
2年後に沈船引き揚げ事業に携わったのだそうです。
宝石のように青く澄んだ海を思い切り楽しんだり、
太平洋戦争の激戦地ペリリュー島の戦跡を訪れました。
31年間の日本統治により日本語が上手な人が多く、
弁当、便所、大丈夫など現地語になった日本語もたくさん。
また、昨年の台風時に深くえぐられた砂浜で見つかった
檜の箱から戦中の砲弾が綺麗なまま出てきたそうです。
(檜の力って、やはりすごいですね。)
南の島で、思いがけず多くの日本についてのエピソード
に触れ、温かい人たちに出会えた意義深い旅でした。

坂井